覆い下栽培とは?日光を遮って生まれるお茶の特別な味わい
お茶の世界には、まるで秘密の呪文のような「覆い下栽培(おおいしたさいばい)」という言葉があります。
これは、お茶の木に覆いをかけて日光を意図的に遮る、まるで我が子を育てるように手間ひまをかける栽培方法です。

手間ひま掛ける=美味しいお茶の作り方ってこと
この一手間が、お茶のキャラクターを劇的に変え、私たちを虜にする特別な風味を生み出す魔法なのです。
この栽培方法で育てられたお茶は「被覆茶(ひふくちゃ)」と呼ばれ、高級茶の代名詞である玉露やかぶせ茶、そして抹茶の原料となる碾茶(てんちゃ)などが代表格。
日光をあえて遮ることで、茶葉は鮮やかな緑色を保ち、まろやかな旨味と甘味、そして「覆い香(おおいか)」と呼ばれる独特の芳香をその身に宿します。
なぜ覆いをするの?その目的と歴史
覆い下栽培のルーツは、なんと室町時代まで遡ると言われています。京都の宇治で始まったこの方法は、もともと春先の遅霜からデリケートな新芽を守るための、いわばお茶の「防寒着」でした。
しかし、霜よけの覆いをしたお茶としていないお茶では、明らかに品質が違うことに当時の茶農家たちは気づきます。
「おや?日陰で育ったお茶の方がなんだか美味しいぞ…?」この偶然の発見が、単なる霜よけから「より美味しいお茶を作るため」の積極的な技術へと進化するきっかけとなりました。
16世紀後半には、イエズス会の宣教師ジョアン・ロドリゲスがその著書『日本教会史』で宇治の覆い下栽培について記録しており、当時から特別な栽培方法として認識されていたことがうかがえます。



昔の人は、いろいろな試行錯誤して栽培の仕方を工夫していって、ほんとスゴイと思う。
露地栽培(ろじさいばい)との違い
覆い下栽培の対極にあるのが「露地栽培(ろじさいばい)」です。
これは、太陽の光を全身に浴びてすくすくと育つ、私たちが「茶畑」と聞いて思い浮かべる一般的な栽培方法です。
両者の違いを分かりやすく表にまとめてみました。
比較項目 | 覆い下栽培(被覆栽培) | 露地栽培 |
栽培方法 | 日光を遮って育てる(箱入り娘タイプ) | 日光をたっぷり浴びて育てる(アウトドア派タイプ) |
主な製品 | 玉露、かぶせ茶、碾茶(抹茶の原料) | 煎茶、番茶、ほうじ茶など |
味わいの特徴 | 旨味・甘味が強く、渋みが少ないまろやかな味 | 旨味と渋みのバランスが良く、爽やかな風味 |
香りの特徴 | 青海苔のような「覆い香」 | フレッシュで清々しい香り |
露地栽培のお茶は、光合成を活発に行うことで、健康成分としても知られる爽やかな渋み成分「カテキン」を豊富に生成します。
一方、覆い下栽培では光合成が抑制されるため、旨味成分「テアニン」が渋み成分に変化せず、葉の中にたっぷりと残るのです。
覆い下栽培がお茶の味を劇的に変える科学的な仕組み
「日光を遮るだけで、なぜ味が変わるの?」その秘密は、茶葉の中で起こる小さな化学変化に隠されています。
旨味成分「テアニン」が増加するメカニズム
お茶のふくよかな旨味や甘みの正体は、「テアニン」というアミノ酸の一種です。
テアニンは、お茶の木の根で作られ、幹を通って葉へと旅をします。
しかし、葉にたどり着いたテアニンは、日光を浴びて光合成を行うと、渋み成分である「カテキン」へと姿を変えてしまう性質があるのです。
覆い下栽培は、この化学変化に「待った!」をかけるための技術。
覆いによって日光が遮られることで、テアニンがカテキンに変化するのを防ぎ、結果として旨味成分であるテアニンが葉の中にたっぷりと蓄積されるというわけです。


渋み成分「カテキン」が減少する理由
上記のテアニンのメカニズムと表裏一体の関係にあるのが、渋み成分「カテキン」の減少です。
覆い下栽培によって光合成が抑制されると、テアニンからカテキンへの変化が穏やかになります。
これにより、カテキンの生成量が少なくなり、渋みや苦味が抑えられた、とろりとして飲みやすいお茶が生まれるのです。


「覆い香(おおいか)」と呼ばれる独特な香りの正体
玉露や抹茶を口に含んだ時に感じる、あの青海苔や出汁を思わせる、豊かで少しクセになる香り。
これこそが、覆い下栽培でしか生まれない「覆い香(おおいか)」です。
この香りの主成分は「ジメチルスルフィド」という物質。
茶葉に含まれるアミノ酸の一種が、お茶を製造する際の加熱工程で変化して生まれます。
日光を制限された環境が、この香りのもととなる成分を増やすと考えられており、覆い香はまさに、手間ひまかけて育てられた高級茶の証と言えるでしょう。
覆い下栽培で作られるお茶の種類とそれぞれの特徴
覆いをかける期間や方法によって、出来上がるお茶の個性は大きく異なります。
代表的な3つの「被覆茶」をご紹介します。
【玉露】20日以上かけて育む、とろりとした濃厚な旨味
「日本茶の王様」とも称される玉露。
新芽が伸び始める頃から収穫までの約20日間以上、よしずや藁、あるいは化学繊維のネットで茶園全体を覆い、丹念に育てられます。
長期間にわたって日光を90%以上も遮ることで、旨味成分テアニンを極限まで高め、他の追随を許さない濃厚な旨味と甘み、そして豊かな覆い香を生み出します。


【かぶせ茶】玉露と煎茶の”いいとこ取り”
玉露と煎茶の中間に位置するのが、かぶせ茶です。収穫前の約1週間から10日前後、茶の木に直接ネットなどを覆いかぶせて栽培します。
玉露ほどの濃厚さはありませんが、煎茶の爽やかさと玉露のまろやかな旨味を兼ね備えた、まさに”いいとこ取り”の味わいが魅力。
日常使いから少し贅沢したい時まで、幅広く楽しめます。


【碾茶(てんちゃ)】抹茶の原料となるお茶
私たちが普段楽しんでいる抹茶の、粉末になる前の姿が「碾茶」です。
玉露と同様に20日以上かけて覆い下栽培で育てられますが、製造工程で茶葉を「揉まない」のが最大の特徴。
蒸して乾燥させただけの碾茶を、石臼で時間をかけて丁寧に挽くことで、あのきめ細やかで鮮やかな緑色の抹茶が生まれるのです。


伝統と技術が光る!覆い下栽培の具体的な方法
覆い下栽培には、古くからの伝統的な手法と、現代の効率的な技術が用いられています。
栽培方法の種類:「棚掛け」と「直掛け」
覆いの設置方法には、大きく分けて2つのスタイルがあります。
棚掛け方式
直掛け方式
覆いの資材:伝統的な「本簀」(ほんず)から現代の「寒冷紗」(かんれいしゃ)まで
日光を遮るための資材にも、伝統と革新があります。
伝統の「本簀(ほんず)」



この本簀(ほんず)の香りが言葉にならないくらいエモいです。
現代の「寒冷紗(かんれいしゃ)」:
覆い下栽培のお茶を家庭で美味しく楽しむ淹れ方
せっかくの覆い下栽培のお茶。そのポテンシャルを最大限に引き出す淹れ方を知れば、お茶の時間がもっと豊かになります。
玉露:低温でじっくり旨味を引き出す
玉露の真髄である「旨味」を味わうには、低温のお湯でじっくり淹れるのが絶対のルールです。
沸騰したお湯を湯冷ましや湯呑みに移し、50℃~60℃(手で触って少し温かいと感じる程度)まで冷まします。
小さめの急須に、少し多めの玉露の茶葉を入れます(1人分約5gが目安)。
冷ましたお湯を急須にそっと注ぎ、蓋をして約5分、静かに待ちます。
各湯呑みに少しずつ、濃さが均一になるように「廻し注ぎ」をし、最後の一滴(ゴールデンドロップ)まで大切に注ぎ切ります。


低温で淹れることで、渋み成分の抽出を抑え、旨味成分のテアニンを余すことなく引き出すことができます。
かぶせ茶:温度を変えて好みの味わいに
かぶせ茶は、淹れる温度で表情が変わるのが面白いお茶です。
- 旨味を堪能したい時: 玉露のように、70℃程度の少しぬるめのお湯で90秒ほど淹れると、まろやかな旨味が際立ちます。
- 爽やかさを楽しみたい時: 80℃~90℃のお湯で60秒ほどで淹れると、煎茶のような爽やかな香りと心地よい渋みが引き立ちます。


その日の気分に合わせて淹れ方を変え、自分だけのベストな一杯を見つけるのも、かぶせ茶の醍醐味です。
AFTERWARD
覆い下栽培がもたらす日本茶の奥深い世界
日光をあえて遮るという、植物の常識に逆らうかのような「覆い下栽培」。
しかし、このユニークなひと手間こそが、日本茶の持つ旨味、甘み、そして香りのポテンシャルを最大限に引き出し、玉露やかぶせ茶といった多様で奥深い味わいの世界を創造してきました。
先人たちの知恵と、科学的な裏付け、そして職人のたゆまぬ努力が融合した覆い下栽培のお茶は、まさに日本の茶文化が世界に誇る芸術品です。
この記事をきっかけに、ぜひ一度、その特別な一杯をじっくりと味わってみてください。
きっと、あなたがまだ知らない日本茶の新たな扉が開かれるはずです。
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